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平成28年府民生活・厚生常任委員会閉会中 次第 開催日: 2016-11-24
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    トップページ 検索結果一覧 使い方の説明 (新しいウィンドウで開きます) 平成28年府民生活厚生常任委員会閉会中 本文 2016-11-24 文書発言の移動 文書 前へ 次へ 発言 前へ 次へ ヒット発言 前へ 次へ 文字サイズ・別画面表示ツール 文字サイズ 大きく 標準 小さく ツール 印刷用ページ(新しいウィンドウで開きます) 別窓表示(新しいウィンドウで開きます) ダウンロード 表ズレ修正 表示形式切り替え 発言単文選択全文表示を切り替え 単文表示 選択表示 全文表示 発言者表示切り替え 全 58 発言 / ヒット 0 発言 すべての発言ヒット発言表示切り替え すべての発言 ヒット発言 選択表示を実行・チェックの一括変更 選択表示 すべて選択 すべて解除 発言者一覧 選択 1 :  要約 選択 2 :  開会 選択 3 :  所管事項の調査 選択 4 :  ◯岡本委員長 選択 5 :  ◯南障害者支援課長 選択 6 :  ◯岡本委員長 選択 7 :  ◯松尾参考人 選択 8 :  ◯岡本委員長 選択 9 :  ◯寺本参考人 選択 10 :  ◯岡本委員長 選択 11 :  ◯浜田委員 選択 12 :  ◯松尾参考人 選択 13 :  ◯浜田委員 選択 14 :  ◯松尾参考人 選択 15 :  ◯森下委員 選択 16 :  ◯寺本参考人 選択 17 :  ◯森下委員 選択 18 :  ◯寺本参考人 選択 19 :  ◯二之湯副委員長 選択 20 :  ◯南障害者支援課長 選択 21 :  ◯二之湯副委員長 選択 22 :  ◯南障害者支援課長 選択 23 :  ◯二之湯副委員長 選択 24 :  ◯上條健康福祉部副部長(福祉担当) 選択 25 :  ◯二之湯副委員長 選択 26 :  ◯南障害者支援課長 選択 27 :  ◯二之湯副委員長 選択 28 :  ◯松尾参考人 選択 29 :  ◯二之湯副委員長 選択 30 :  ◯松尾参考人 選択 31 :  ◯二之湯副委員長 選択 32 :  ◯渡辺委員 選択 33 :  ◯寺本参考人 選択 34 :  ◯渡辺委員 選択 35 :  ◯寺本参考人 選択 36 :  ◯渡辺委員 選択 37 :  ◯加味根委員 選択 38 :  ◯寺本参考人 選択 39 :  ◯加味根委員 選択 40 :  ◯南障害者支援課長 選択 41 :  ◯加味根委員 選択 42 :  ◯松尾参考人 選択 43 :  ◯加味根委員 選択 44 :  ◯山口委員 選択 45 :  ◯寺本参考人 選択 46 :  ◯山口委員 選択 47 :  ◯松尾参考人 選択 48 :  ◯山口委員 選択 49 :  ◯松尾参考人 選択 50 :  ◯山口委員 選択 51 :  ◯北岡委員 選択 52 :  ◯松尾参考人 選択 53 :  ◯北岡委員 選択 54 :  ◯寺本参考人 選択 55 :  ◯北岡委員 選択 56 :  ◯岡本委員長 選択 57 :  その他 選択 58 :  閉会 ↑ ページの先頭へ 本文 ↓ 最初のヒットへ(全 0 ヒット) 1:                                      別 紙               議 事 の 経 過 概 要 ┌                                       ┐ │ 岡本委員長開会宣告の後、議事に入り、所管事項の調査等を行い、閉会した。   │ └                                       ┘ 2: 1 開 会  (1) 岡本委員長から開会宣告が行われた。  (2) テレビ広報番組の収録のため、テレビカメラによる撮影を行うことが決定された。 3: 2 所管事項の調査   下記のテーマについて、理事者及び参考人から説明を聴取した後、質疑及び意見交換  が行われた。   ・障害者の社会参加と理解促進による共生社会づくりについて
    4: ◯岡本委員長  まず、所管事項の調査についてでありますが、本日のテーマは「障害者の社会参加と理解促進による共生社会づくりについて」であり、参考人として、きょうと障害者文化芸術推進機構アドバイザーの松尾惠様及び社会福祉法人京都身体障害者福祉センター京都市ふしみ学園施設長の寺本眞澄様に御出席いただいております。  本日は、大変お忙しい中にもかかわらず、本委員会のために、快く参考人をお引き受けいただき、まことにありがとうございます。  松尾様におかれましては、ギャラリー運営のほか、京都の現代美術や芸術の環境整備に幅広くかかわっておられ、また大学において非常勤講師として後進の育成にも力を注がれており、昨年12月に発足した「きょうと障害者文化芸術推進機構」のアドバイザーとして障害のある方の芸術活動に御尽力を賜っていると伺っております。  寺本様におかれましては、京都市ふしみ学園の施設長として、障害のある方とその家族が地域の中で尊厳を保ちながら普通の暮らしができるよう支援されており、また同学園内の「アトリエやっほぅ!!」において障害のある方々の絵画や陶芸制作の取り組みを支援されていると伺っております。  本日は、そういった日ごろの取り組みを踏まえたお話をお聞かせいただければと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、初めに理事者から、テーマに係る説明を聴取いたしますが、説明の準備が整うまで、しばらくお待ち願います。  それでは、まず理事者から説明を聴取いたします。 5: ◯南障害者支援課長  障害者支援課長の南でございます。よろしくお願いいたします。座って説明をさせていただきたいと思います。  まず私のほうから、お手元に配付の資料、並びにスライドを使いまして、きょうと障害者文化芸術推進機構の取り組みについて、冒頭、御説明をさせていただきたいと思います。本日配付の資料の中に、本機構の機構長であります京都国立近代美術館の柳原館長から御挨拶を賜っておりますので、御参照いただければと思います。  それでは、説明に入らせていただきます。  まず、きょうと障害者文化芸術推進機構の概要でございますけれども、京都府におきましては、共生社会の実現に向けた取り組みということで、これまでからも文化芸術の関係、あるいはスポーツ振興に力を入れてきているところでございますけれども、文化芸術につきましては、別冊として配付させていただいております共生社会の実現に向けた文化芸術推進プランというものを平成26年12月に京都府として策定をいたしまして、このプランに基づきまして、さまざまな障害者文化芸術に係る取り組みを進めているところでございます。このプランに基づきまして、オール京都体制のきょうと障害者文化芸術推進機構という機構を昨年12月に発足いたしまして、本年1月に事務局兼専用ギャラリーとして、後ほど御説明いたしますが、art space co-jin(アート スペース コージン)というギャラリーをオープンしております。東京オリンピック・パラリンピックに向けまして、文化芸術面でも今さまざまな取り組みが広がっておりますけれども、京都府におきましても、こういった機構等を通じまして取り組みを進めていきたいと考えているところでございます。  きょうと障害者文化芸術推進機構につきましては、先ほど申し上げましたとおり、機構長に京都国立近代美術館の柳原館長にお願いをしておりまして、そのほか、例えば京都国立博物館の佐々木館長でありますとか京都市美術館の潮江館長など、芸術界の第一人者の方に加えまして、当事者の関係団体様、経済界、報道関係、行政というふうに、まさにオール京都体制で運営を進めているところでございます。このような推進組織につきましては、全国的にも非常に特徴的な取り組みであると考えております。  きょうと障害者文化芸術推進機構は、今申し上げましたさまざまな関係機関と連携のもと、障害のある方の社会参加の促進ということでいろいろな事業に取り組んでおるところでございます。  きょうと障害者文化芸術推進機構として取り組んでおります各事業をロードマップとして整理したものが次の資料でございます。発信、応援、広報ということでまとめてございますけれども、大きな企画展もございますし、この後御説明します常設のart space co-jinを通じた企画展の開催等、さまざまな取り組みを今年度も進めておるところでございます。特に12月につきましては、この資料の上のほうにも書かさせていただいておりますが、12月3日から9日までが障害者週間ということもございまして、「共生の芸術祭」でありますとか、「とっておきの芸術祭」という大きな障害をお持ちの方の芸術展を開催していくことを予定しております。  ここからはart space co-jinについて御紹介をさせていただきたいと思います。先ほど来申し上げていますとおり、きょうと障害者文化芸術推進機構の事務局兼ギャラリーということで、ことしの1月に開設をいたしました。場所は、河原町荒神口に置いております。障害のある方の作品の展示をメーンにしておりまして、そのほか、ワークショップでありますとか講座の開催といったことを通じまして、障害のある方だけでなくて健常者の方も来ていただいて交流できるような機会をつくっているところでございます。また、府内の障害のある方の芸術活動でありますとか作品などの調査とか発掘といったことも、この事務局のスタッフ等で今進めているところでございます。  ここからはart space co-jinのほうでこれまでに行ってきました企画展を簡単に御紹介をさせていただきます。まず、開設して1つ目の企画展ということで「Co-jin Collection(コージン コレクション)-コジコレ-」ということで開催をいたしました。これは京都府にお住まいの方、あるいは施設を利用の方が応募される公募展「京都とっておきの芸術祭」というものがございまして、こちらに応募いただきました作品から選抜をして展示会を開いたのが第1弾の企画展でございます。さまざまな絵画等を1カ月程度の期間で順次企画展という形で開催をしております。  5月に入りまして2つ目の企画展ということで、なづな学園さん、京都市の社会福祉法人さんでありますけれども、こちらの作品展を開催いたしました。なづな学園さんは女性だけの通所施設ということで、絵画でありますとか手芸品などを重点的に制作されております。こちらの企画展を実施したきっかけも、先ほど申し上げました「京都とっておきの芸術祭」に出展をされたことをきっかけにこの企画展を開催させていただきました。企画展の名前は「はなのななあに」ということでありますけれども、谷川俊太郎さんの「ことばあそびのうた ののはな」からとった企画展になっております。こちらを見ていただければ、いろいろ展示されておりますけれども、上からつるした花のようなものが見えるかと思いますが、これは手芸品でありまして、座布団をこの施設さんはつくられておりまして、それを少し立体的に展示させていただいたということが特徴的なポイントになります。  続きまして3つ目の展示ということで、「米田祐二展」ということで、こちらは八幡市にお住まいの米田祐二さんという方の個展でありますけれども、毎日かなりたくさんの写真を撮られておりまして、その写真を選ばせていただきまして展示させていただいたものでございます。こちらも先ほど申し上げた京都とっておきの芸術祭に出展いただいたのがきっかけでこのような個展を開かせていただきました。個展自体、米田さんは初めてということで、大変喜んでいただいていたものでございます。  7月から8月にかけまして、舞鶴市のみずなぎ鹿原学園さんの「nu-tang(ヌータン)」という企画展をやりました。nu-tangというのは、「何とかしたん」という方言を少しもじってつくった企画展の名前ということになります。こちらは、ここにもありますとおり「縫うたん」「こねたん」というのを少しアレンジしておりますけれども、刺しゅうでありますとか陶芸作品を中心にした企画展になってございます。写真では少しわかりづらいかもしれませんが、カボチャの刺しゅうの作品ですけれども、これは大変大きな作品でございまして、ミシン糸を選んで、束ねて、この大きな刺しゅう作品をつくられております。実物は30センチから50センチぐらいのかなり大きく重たい作品になっております。こういったのはすごく時間をかけてつくられておられるということであります。  1カ月ごとにやっております企画展の間に、例えばワークショップでありますとか講演等を開催して、そういった場には、もちろん一般の方でありますとか福祉施設の利用者さんなども来られて、交流の機会にもなっているというところでございます。  10月に開催した作品展でございますが、木村全彦さんの個展ということで、こちらは後ほどお話があるかと思いますが、京都市ふしみ学園さんに所属されている作家さんになります。こちらにも少しありますけれども、主に色鉛筆を使われて、大変力強い筆圧で、独特の楔(くさび)の形が使われた絵になっております。本日この場にもお持ちいただいておりますけれども、こういった絵を中心に飾らせていただきました。CUNEI CUNEI(キュニ キュニ)というふうに名づけておりますけれども、「キュニ」というのがラテン語で「くさび」を意味するということで、そういった企画展の名前で開催をしております。こういった絵もくさびをベースにしておりまして、独特の絵のタッチになっております。この絵の右側は「競馬」ということになっております。全体で見るとなかなかあれですが、馬の顔と真ん中の部分をあらわしておられるという独特な絵を描かれる作家さんであります。  おおむね1カ月に一企画展をベースに進めておりますけれども、これとあわせまして、今後、京都府内の障害者芸術の作品発掘でありますとか技術的な支援も含めて、サポーターの養成というのも進めて取り組んでいこうと考えております。本日お越しの松尾参考人にも講師をしていただいておりますけれども、いろいろな方に障害者芸術について理解をしていただきまして、その支援なり調査発掘等に携わっていただく、あるいは企画展のボランティアとして参加していただくというのを念頭にサポーターの養成講座というのを開催しております。養成講座の様子も入れさせていただいておりますが、大変多くの方に御参加いただいておりまして、福祉施設の関係者だけではなくて、病院の関係の方もそうですけれども、いろいろな方に御参加をいただいて、こういった講座等も開催をさせていただいております。また、養成講座に来られた方に実際に施設へ視察に行っていただきまして、そういった現場を見ていただくといったこともさせていただいております。  続きまして、きょうと障害者文化芸術推進機構の企画展というか大きな巡回展の一つであります「共生の芸術祭」について簡単に御説明をさせていただきます。こちらは昨年機構が発足しまして、ことしの1月にart space co-jinがオープンいたしましたけれども、そのオープンした1月から「障害とアート」ということで、「幅と奥行き」というテーマを設定いたしまして、幅と奥行きを顕在化させるような試みとして行った展覧会になります。この「幅と奥行き」については、作者の方の作品面だけではなくて、例えば制作された方の背景でありますとか、周辺にいらっしゃる支援者でありますとか、その周囲にも思いをはせていただきたいという趣旨をコンセプトに入れまして「幅と奥行き」展という形で開催をさせていただきました。こちらは巡回展となっておりまして、京都府立文化芸術会館で1月から2月にかけて行ったのに加えまして、巡回展ということで舞鶴、それからイオンモール高の原のほうで巡回をして3月まで開催をさせていただきました。こちらの写真はイオンモール高の原での展示の写真ですけれども、このイオンモールでの開催については大変多くの方にごらんいただいて、大変好評だったと伺っております。  こちらは昨年度の共生の芸術祭の作品等をまとめております。時間の関係で省略をさせていただきたいと思います。  最後になりますけれども、ことしもまた、きょうと障害者文化芸術推進機構が主催いたします共生の芸術祭を開催いたします。12月13日から開催を予定しておりまして、ことしのテーマは「ストップ・ウォッチ」ということで、時間軸をテーマにした企画展を開催したいと考えております。人にとって、制作の時間、見る時間、待つ時間、ひとりの時間、誰かと過ごす時間、いろいろな時間があると思いますけれども、一旦とまって見ていただくという意味で、とまって見るという意味のストップウオッチと、時間をあらわすストップウオッチをかけて「ストップ・ウォッチ」という企画展をこの12月から開催する予定でございます。作家さんは、京都府に限らず全国的に活動されている方、あるいは世界的にも著名な障害芸術の作家さんに出展をいただきまして企画展を行いたいと考えております。  京都文化博物館では12月13日から、けいはんなプラザと市民交流プラザふくちやまでは巡回展も予定をさせていただいております。art space co-jinという事務局兼ギャラリーにつきましては、冒頭申し上げましたように河原町荒神口にありまして、おおむね月1回程度の企画展をやっておりますので、またこちらのほうもぜひお時間のあるときに足をお運びいただければ幸いでございます。  以上、冒頭、簡単ではございますが、私のほうから御説明をさせていただきました。どうもありがとうございました。 6: ◯岡本委員長  次に、参考人の御意見を拝聴いたしたいと思いますが、説明の準備が整うまで、しばらくお待ち願います。  それでは、まず松尾様、よろしくお願いいたします。 7: ◯松尾参考人  松尾と申します。よろしくお願いいたします。  私のほうは、日ごろの仕事がギャラリー経営なんですけれども、対象が現代美術ですので、現代美術とは何かというお話をしつつ自己紹介もさせていただきます。それから、大体の趣旨としましては、ここで改めて、「アウトサイダーアート」と表記しておりますけれども、現代美術という視点から見たときにアウトサイダーアートというのは何なのかということと、それから障害者芸術、障害をお持ちの方々の芸術との共通点と相違点、それから課題について述べたいと思います。大学などでも現代美術に関しまして講義をしておりますので、若干、授業のレジュメっぽくなってしまったんですけれども、ざくっとお話し申し上げたいと思います。  現代美術という言い方が非常にかた苦しくて、最近では、現代アートなどと言うほうが皆さんに受け入れていただきやすいかもわかりませんけれども、あえて今回はアートと言わずに、美術、芸術という日本語を使わせていただきました。現代美術というのは最先端、実験的という意味で、3つの区分がございます。1つは、戦後の先端的なものです。戦後といいましても、もう70年たってしまいましたので、モダンの終えんということで1970年以降というふうにもう一度区分けをいたしました。ただ、1970年当時に既に60歳、70歳といった方はどういうふうに区分するのかということから、さらに1970年以降生まれの若手の作家たちの作品を指すようになりました。それから、もう一つ申しますと、特に日本の場合は、美術館のほとんどが公的機関ですので、そういうところとマーケットというのは非常に乖離した状態です。美術館のほうから見ますと、これはあくまでも市場における区分でしかないじゃないかというような、ある種批判的な区分でもございます。つまり、ここに書きましたけれども、まだ価値がつかないもの、これからみんなで価値をつけていこうじゃないかというものが市場に上がってくるということによって、国際マーケットが非常に活性化しております。この中に、いわゆるアウトサイダーアート、あるいはアールブリュットなどと申しておりますけれども、多様な表現者たちが流入してきています。流入といいますか、当然の参加ですね。それにつきましては、また改めて御説明させていただきます。  また読み返していただければと思いますが、次に行きますと、現代美術とくくっているもの、これはすなわち、生存している作家たちの表現というふうに大きく言うこともできます。その中には、この時代ですので、生存の形がさまざまであると。つまり、そうなってくると表現は多様である。そして、表現をする人々というのは、さまざまな生存の方法の当事者だということになります。社会的位置づけにはこのように感じますし、実際にはそのようになっておりますが、私自身がもう30年にもなってしまいますがギャラリーを経営してきました。日本の場合はどうしても日展を頂点としまして、団体の中で生きていくか、生きていかないかというような選択肢がいまだに残っております。つまり、団体に所属しないのは一匹オオカミであって、団体以外の作家たちというのは全てアウトサイダーです。つまり、アカデミズムと団体という一つの制度以外の人たちというのは全てアウトサイダーアートの表現者たちだと言うことができます。これは私が30年間やってまいりまして日々実感することです。これは30年の間に余り大きくは変わっていないのですが、ただしアウトサイダーへの関心というものは非常に高まっていて、先ほど申しましたけれども、美術館よりも先に市場(マーケット)で評価されているという、これが現状です。  細かく申しますと、今、現代美術というのは誰がつくっているのかというところが一番大事であって、それは先ほども申しましたけれども、どういった生存をしているのかというところがテーマです。もっと広く言いますと、昨年、京都府さんも実行委員の一団体でしたけれども、「PARASOPHIA(パラソフィア):京都国際現代芸術祭」というのがございました。この中で最も早くに展示をプレイベントとしてなさったのが南アフリカの作家です。その南アフリカの作家というのは、南アフリカに生まれたオランダ人です。つまり、抑圧する側の支配者としての白人家庭に生まれた人が南アフリカというところで生きて、考えて、そしてこれは美術を通じて世界に発言していかねばならないということで美術を選んだという人です。非常に感動的な作品でしたし、ごらんになった方も多いのではないかなと思います。  そのように、どういったところに住んで、どういう生活をして、誰とコミュニティを形成しているかというところが非常に現代美術の見るべき点ではないかなというのが私の持論です。これにおきまして、この考えに基づきますと、障害のあるなしにかかわらず、表現は表現ではないかというのが、この30年間、日々いろんな表現を見てきて感じているところでございます。こういう意味でいいますと、これがすなわち共通点だというには余りにも乱暴なくくり方なんですが、このような中で、では、日本全体で見ればどうなのかというお話を少ししてみたいと思います。  つまり、先ほど申しましたような流れで、大分はしょりましたけれども、アウトサイダーアートは何なのかといいますと、つまりヨーロッパの芸術史の外側にあるものというふうにずっと考えてきていると。日本は近現代化していくに当たって、どうしてもヨーロッパ、あるいはキリスト教文化の外にある美術というのはなかなか国際化できなかったと。いまだにそうであると思います。西洋の文化圏の外にあるものという意味で言えば、日本の美術というのは今まで、つい20年ほど前まで全てアウトサイダー扱いです。これは本を持ってまいりましたので後で閲覧していただければと思うんですが、西洋美術史になかなか切り込めないできた日本の美術の中において言えば、日本全体の美術というのはいまだにアウトサイダー的な扱いであると。あるいはエスニックなもの。極端なことを申しますと、私の持ってまいりました資料の最後ですけれども、アボリジニ(オーストラリアの先住民)の人の作品がございます。アボリジニに対する評価と日本の美術に対する評価は、さして変わりがなかったのではないかと。ただ、それを最近どんどん切り開いてきて国際化、国際マーケットですとか海外の美術館、美術史の中に評価されてきた作家たちもたくさんおります。ですので、例えば障害のある方の作品を日本の中でどう評価するかよりも先に、海外から見れば、日本に生存している全ての作家たちを今、西洋の美術史の中に取り込もうという勢いが非常に強くなってきています。これは、一つはマーケットに出していくということですね。そして、そこで買っていっていただく。買うということはどういうことかと申しますと、美術史を振り返ったときに、あるいは美術館でコレクション展を見たときに、誰かがかつて買ったものしか歴史に残らないということなんです。ですので、どういった形であれ、それを誰かが所有することによって歴史に残していけると。この所有する人をどうやって探すかというのが一番大事だと日々思っております。  そして、私のギャラリーで扱っておりますのは、もともとアウトサイダーばかりとも言えます。つまり、団体には全く所属していない。そして、京都にたくさんある芸術系大学を卒業したにもかかわらず全く評価がされない、あるいはなかなか売れていかない。これはなぜかというと、一地方都市であるところの京都市の問題もあるんですが、なかなか届かない、いろんな形で支援者が少ないということです。そういう意味で、支援者の少ない作家たちというものを発掘して支援するという仕事を続けてまいりました。これは非常にやりがいを感じておりまして、そこへ、さらに障害のある方、家族に障害のある方がいらっしゃる方、あるいはお子さんを持った、そのお子さんに障害があったという方、そういった方もたくさんおられます。ですので、視点としましては、特別に区分して見るということは、少なくとも私の運営しておりますギャラリーの周辺には余り起こっておりません。むしろ影響を受ける、芸術系でしかるべきアカデミックな勉強をした人が、それ以外のところにこんなに多様で豊かな表現があるということに突き動かされて影響を受けているという、そういう事例はむしろたくさんございます。  少しこの図版のほうを見ていただきます。これは、実を申しますと障害のある方、ない方、有名な方、無名な方、ごちゃまぜにしてみました。全く区別がつきにくいのではないかなと思います。  ざっくりと御説明させていただきますと、最初にありますのが田中敦子さんと申します。この方は御存じかもしれませんが、存命中はそれほど値段は上がらなかったんですが、数年前に亡くなられました。途端に値段が上がっているんですが、具体美術協会といいまして大阪を拠点にした前衛美術活動の作家ですね。ただ、今でもそうですけれども、美術史というのは大体男の人がつくってこられますので、戦後すぐにできた前衛美術グループの中で女性がどれだけ苦労してきたかと。ある意味、グループの中でもアウトサイダー扱いだったんですが、作品の価値としては、今、非常に高騰しております。なぜならば、具体美術協会というのがそもそも日本の前衛グループなんですが、アメリカの研究者がつい10年ほど前に再評価しました。それまではアジアの大阪という小さい町の人知れず起こった前衛芸術活動だと。これに価値づけをすることによってもちろんマーケットが活性化していくというのと、アメリカ文化がこんな隅々まで影響しているんだよというアメリカの美術史のつくり方にぴったりはまったというところですね。  それから、次、犬と十字架みたいなのを描いたのは京都芸術大学の博士課程を出た人の作品です。私もこれを最初に見たとき、犬を見てどう感じようかなと思ったんですが、例えば美術史を振り返ってこれを何と比較していくかというところに研究対象があるというものでした。それから、2段目の右端は死刑囚の芸術という展覧会で最も感動した作品です。留置場というのでしょうか、刑務所の中で描かれたものですね。  それから、一番下の真ん中は草間彌生さん。この方は、この間文化勲章を受章されました。それから、右端は高村光太郎の奥さん、「智恵子抄」の智恵子です。田中敦子さん、草間彌生さん、智恵子さん、皆さん精神障害をお持ちでした。  それから右へ行きますと、一番左端は京都芸術大学の学生が描いたものです。真ん中は日本で初めて障害者芸術の展覧会、アウトサイダーアートの一番大きな展覧会の出展者であり、彼女自身はいわば健常者です。今は世界的に有名な作家です。後でこの作品の載った図録を回そうと思います。ごらんになってください。一番右端が、これはアウトサイダーアートの中に含まれるものでして、霊能者、あるいは心霊現象を見る人、つまり精神的な闘病者と言ってもいいかもしれませんけれども、世界で最も有名な霊能者マッチギルといいます。この人も評価されています。  2段目の左端は、目の見えない方が描いた絵画です。見えないんですけれども、これ、立体的なテープでなぞっていかれながら描かれています。それから、途中から失明されていますので、非常に幼少期のころの記憶、色だけは覚えているので、サポーターの方に黄色、緑というふうにおっしゃられながら描いていった作品です。真ん中は、金沢美術大学の大学院を出た作家です。右端は、彼女の場合は、先ほど申しました日本で最大のアウトサイダーアートという有名な展覧会の中に出しておりましたけれども、健常者かそうでないかというのが非常に難しい位置づけの方です。本人はそうじゃない、そういうところに入れられたくないとおっしゃいますし、実際にはいろんなものが見えたり聞こえたりする中で描いておられます。私は個人的に非常におつき合いがあるんですけれども、おもしろいです。毎日いろんなことを考えていらして、それこそ生存というものがルーチンではないというところがすごくはっきりしています。  それから、下のはり絵、これも智恵子さんです。真ん中の富士山は、超有名な片岡球子さんです。「シン・ゴジラ」という映画がありまして、首相のお部屋のバックに富士山の絵があったと思いますが、この方の絵です。右端はルイーズ・ウィルソンといって、一番下の左端のおばあさんですね、この方の作品です。この人は70歳までアルバイトを続けたという作家です。真ん中はヘンリー・ダーガーと申しまして、この人も最も有名な障害者のアーティストと言われています。  このようにたくさんございますけれども、後に図録をお回ししたいと思います。  私が申し上げたいのは、そのように芸術サイド、つくり手の側から見たときには何ら区分はできないと。ただし区分をするならば、芸術活動というのは社会活動でして、ここははっきりしているんですが、つくり手と送り手と受ける人、受け手がいなければ社会活動として成立しないと。多くの芸術家は有名無名にかかわらず、受け手と送り手とつくり手を兼ねております。つまり、つくった人というのは非常にすぐれた目ききです。かつ、目ききが、これはおもしろいねと言うと、これは伝わっていくんです。障害者の方のアートに関して、美術に関してのみ言いますと、つくり手と送り手と受け手を兼任されにくいというところではないかと思います。つくり手御本人と送り手・受け手という者が並走していかなければ成り立たないと。つくり手本人だけに任せておくと社会活動にはなかなかなりにくいというのが一つの特徴、相違点ではないかと思います。ですのでart space co-jinは送り手と、それを見に来る方、あるいは買われる方という受け手につなぐという意味では、送り手としての機能が非常に明確であると。ただし、この送り手としての機能をさらに充実させるために何が必要かということを最後に少しだけ申し上げたいと思います。  1つは、各国、アウトサイダーアート、あるいはアールブリュットなどと位置づけつつもマーケットとしては全体に、現在生きている作家たちという大きなくくりの中で評価されていると。ここへ一歩近づく必要があるのではないかと思います。つまり、歴史といいますか、美術、あるいは芸術学といったものとのすり合わせのできる人、例えば近現代の美術の研究者、それから美術館の学芸員の中にも、日本で2人か3人だけ、いわゆるアールブリュット専門といいますか、それを研究領域にされている方がいらっしゃいます。そういった方の論文ですとか、あるいはその方たちの評価を言語化していくということも必要ではないかなと思います。  あと、広報という意味では、やはり広報は必要でして、先ほどからなかなかすてきなかわいらしいタイトルのついた展覧会、そしていいチラシもたくさんございましたけれども、これをやはり多言語にしていく。多言語にしてホームページに載せていく。それから、アートフェアと申しておりますが、世界では毎週のように、週末には芸術見本市が開かれております。これに出展するには莫大なお金が要るんですが、これに一歩近づく助成金ですとか、寄附制度ですとか、金銭的な支援というものを仰ぐということが大事ではないかなと思います。  ちょっと時間を見ずにお話ししてしまいましたので、頂戴した時間に過不足がございますでしょうか。また後に御質問をお受けしたいと思います。  以上でございます。 8: ◯岡本委員長  ありがとうございました。  次に、寺本様、よろしくお願いいたします。 9: ◯寺本参考人  それでは、京都市ふしみ学園の「アトリエやっほぅ!!」の紹介をさせていただきたいと思います。  まずもって、今のお話にありましたような専門的なことは全く存じていませんで、ふしみ学園は知的障害の重度な方々が通っておられますので、その方々への支援という観点から始まった活動であるというところを初めにお話しさせていただいて進めていきたいと思います。  ふしみ学園は平成4年に開設いたしまして、今現在64名の方が通ってこられています。生活介護事業、旧で言いますと知的障害者通所授産施設ということで、知的に障害がある方が日々通われてお仕事をするという施設になっています。今、平均年齢のほうは35歳。支援区分と申しますのは、今の制度の中で支援料がどれぐらい要るかということを位置づけるんですけれども、6が一番支援がたくさん要るということで、6から1までございます。  ふしみ学園は5、6という重度、最重度の方が36名いらっしゃる施設になります。京都市ふしみ学園はここに書かせていただいていますように、18歳以上の方が通所し、さまざまな形の「働く」ということを実現しています。また、地域交流も積極的に行い相互理解を深め、ともに支え合う共生社会の実現に向けて活動をしております。また、その取り組みを通して障害のある方がその人らしく生き生きと暮らしが送れるように支援を行っております。  支援方針としましては、初代園長の理念のもと、利用者の「発達の可能性を信じる」というもとに行っております。発達の可能性といいましても、どんどん成長、発達するという言葉だけの意味ではなくて、エンパワーメントという視点を大切にしております。支援方針、3つの大きな柱ですけれども、「働き」にこだわったプログラム、また「得意なこと、好きなこと」を仕事にしましょう、あと、学園にいないときの過ごし方を一番大切に考えております。過去には、学園以外でさまざまな行動障害が起こりまして、地域の方々に御迷惑をおかけするようなことがあったり、おうちで夜にストレス発散でパニックを起こしたりということがありましたので、学園では優等生ではなくて、学園以外のときに安定してその人らしい生活が送れるための過ごしにしたいということを大切に思っています。  大きく3つの班に分かれるんですけれども、作業を中心に取り組むお仕事班ということで、さまざまなお仕事をしていただいています。「☆(ほし)えび班」、☆えび班というのは利用者がつけた名前です。次、「あおぞら・ひまわり班」ということで、特に重度の方々で、環境もかなりいろいろと配慮しないと普通に過ごすということができませんので、その方々に合った環境を設定して過ごしていただく、主に療育的な班ということで。ただ、1階のスペースの部分は地域交流という場所も設けまして、地域の方々と障害のある方がともに活動するという時間も設けています。最後に「やっほぅ!!班」ということで、好きなことに取り組む創作班ということで活動をしております。  過去、日中活動のほうは、授産施設ということで、ほぼ作業をしておりました。ここにあるだけのメニューということで進めておりましたので、重度の60人余りの利用者の方にとって、この仕事が好きだという方はごくわずかで、多くの方がトイレで過ごされたり、施設を飛び出されたり、パニックを起こしたりということでトラブルが毎日のように起こっておりました。そこから見えてきたこととして、学園というもの、その活動がつまらない、退屈なんだと、そしたら暇潰ししなあかんということで、逸脱行為をしたいわけではなくて、仕方なくそうなっているなと。また、自主制作も製品をつくるということで、決まったものをつくっていただくので修正が入ります。となると、私たちでも、「もうちょっとああしなさい、こうしなさい」と毎日ずっと言われると、だんだん嫌になってしまうんです。好きなこともまた嫌になってきて、それがストレスになって、仕事が終わった時間にパニックを起こして、家へ帰る道中で物を壊してしまうというようなことが起こっていました。そういうことが起こっているのを見まして、学園に来ている活動時間が、学園に来たかいのない一日になっているなということで、何とか来ることが励みになる一日にしたい。また、私たちも仕事を選んでいるんですが、彼ら彼女たちは学園にあるメニューしかないということに疑問を持って、何か好きなことを働きにできないかなということで利用者主体の活動づくりを考えました。利用者さん一人一人、体を動かしたいとか、ドライブがしたいとか、お母さんみたいに家のことがしたいとか、いやいやお店屋さんがしたいんやという思いはあられるんですけれども、なかなか御自身ではできないということで、何とかそれがかなう仕事をあちこちから引っ張ってきまして、何とかそれぞれのやりたいことを仕事にということでつくってきました。また、レクリエーションもなかなかお一人ではできないので、毎日ではないんですけれども、学園にいるときにさまざまな活動を取り入れました。  そういう中なんですけれども、一日を過ごすにはそれだけのメニューがあっても、やっぱりおもしろくないなということでなかなかその活動にも参加できない方々がいらして、それだったら絵とかを好きに描いてもらったら誰にも注意されなくていいんじゃないのということで、好きに作品をつくってもらったり、陶芸もお茶碗とかコップを、いや、もうちょっとこうしなさい、もうちょっとああしなさいと言うのではなくて、好きなものをつくってもらって過ごしてもらおうかということで始めて、従来のかばんであったり食器の製造はやめました。  お一人お一人好きなことをしていただくということで、彼は当時、「やっほぅ!!班」ではなかったんですが、はさみとかが大好きで、職員がはさみを使う場面であろうことを察知すると、とにかくそこへ走っていく。なので一日中走っているんです、作業室で。座っていただいても、私たち以上に職員の置き忘れたはさみを見つけるのが早くて、だっと行くということで毎日注意されています。注意されるのがやっぱりおもしろくないので廊下に出て長椅子で寝るというようなことをされていたんです。はさみは危ないのでやっぱり職員はとめるんですけれども、好きやったら、はさみとかカッターとか全部渡してあげればいいんじゃないのということで彼の机の上にそれを並べました。そうすると、途端に作業室を走り回ったり動き回るのがやんで、ずっと座られるようになりました。なので、決してうろうろしたいんじゃなくて、好きなものが欲しかったんだなということで。そこを何とか作品にできないかということで好きな本を見てもらって、つるつるの紙で中が段ボールになっているのをげじげじやるとつるつるがはがれますので、そこにインクがしみ込むようにして、それを職員がインクをにじませて版画のようにすることで、彼自身のはさみを使うという遊びがしっかりとした作家さん活動になって、すてきな版画の作品ができてきました。  こうやってしゃべっていると、時間がどんどん過ぎるのでドキドキするんです。今、そちらに京都タワーの絵を飾っているんですけれども、彼の場合はそれこそ「ノー」を言えない、全て「はい」とおっしゃる方で、すごく苦しくても「嫌」ということが言えないので、苦しい「はい」を言われるんですけれども、そういうことでストレスがたまっておられたんですが、画材を選んでいただいて描いていただくということで、どんどん御自身の作家活動が充実していったのかなと思います。彼の場合、輪郭をとるというよりも見たまま描きます。これは、こいのぼりなんです。最後にこいのぼりを出しているんでわかるんですけれども、こうなるとちょっとわかりにくいかなと思うんですが、御自身が見えたところから色を置かれますので、あまり輪郭とかをとらずにそのまま落とし込んでいくという形になっています。  あと、彼の場合は重複でして、知的障害もあるんですが脳性麻痺で、指を使って鉛筆を持つということがなかなかできなくて、挟んでたたくように描かれるんですが、この作品も座って描けなくて、今飾っていますライオンの絵は地べたにブルーシートを敷いて、その上に紙を置いて、この距離ぐらいのところで描かれますので、全体像を見ずに仕上がっていくという作品になります。かなり人気は高いです。  彼は電車が好きで、職人さんなんですが、当時、陶器をつくっているときは、やっぱり注意されるといらいらしてつらかったんですけれども、好きな電車とか同じものをつくっていくと生き生きとされまして、また絵画のほうも最近では描きますということで。描きますとはお話しにならないんですけれども、描かれるようになって、向こうにあります祇園祭の船鉾ですね、あれも彼の作品になります。  この方は先ほどの京都市の「共生の芸術祭」のときに出させていただいたんですが、かなりストレスをためられる優しい方で、何をしてもしんどかったんですけれども、粒々をつくると一日集中して落ちつかれるということで、何とかその粒々を商品にしてよということで職員がいろいろ考えて、いろいろな作品ができました。  この方は人が大好きなんですが、作業というとなかなか身が入らず、すごく上手にサボられる方だったんですが、人が大好きなので絵を描くといっぱいお友達を描いてくれまして、いろんなバリエーションの絵を描いていただくようになってから居眠りもなくなりました。  彼女は猫が好きで、何でもやりたい、仕事も120%でされる方で、し過ぎて最後に爆発してしまうというところがあったんですが、猫が大好きで、では、好きなものをつくろうかといってこの猫の手カップ等をつくっていただきますと、一日頑張っても気持ちよく帰宅されるということになって、最近では絵のほうも描かれています。  これはコカコーラという絵を描かれた方です。独特のタッチで描かれています。  ということで、「やっほぅ!!」の取り組みから見えてきたものの一つとして、今紹介させていただいた方々は言葉でのキャッチボールはほぼできません。一語文であったり、あと気持ちを言葉にかえることもなかなかできませんし、気持ちを理解しておられるかどうかもちょっとわからない方たちですので、私たちもできた絵を見てびっくりしているんですけれども、恐らく絵というよりは彼らの言葉なのかなと、コミュニケーションなのかなということで、主観を表現されることで安定されたり、満足感が得られて、またあしたも描きたいなと思われたんではないかなと、推測ですけれども思っています。  そんな中でいろいろな作品が出てきまして、何とか職員のほうで皆さんに見ていただこうということでいろんな展覧会へ出展しました。あと、なかなか出展しても賞をいただけない方々もいらっしゃいますので、そういう絵を職員のほうで何とか製品にして。といいますのも、画材は非常に高いですし、お仕事といってもお金が入るお仕事ではないので、何とかこういうものをつくって少しでもお金にかえたいなというふうに。アイデアを出したりするのは職員なんですけれども、好きなものをつくるというのは利用者の方ということで、少し売れて集中しても、職員がつくるとなかなかこれだけのいいものができなくてお待たせしているというような状況になっています。個展のほうも毎年開催しているんですが、京都府さんからも助成金をいただきまして何とか開催できている部分でもあります。そのほかに、地域の銀行ですとか、商店街・路上とか、地域の方々に見てもらう機会も設けております。  そうしているうちに、今、8年目になるんですけれども、いろいろなところから飾ってみませんかということとか、絵を分けてくれませんかということもあったんですが、なかなか絵をお売りするという、先ほどの買い手ですね、そういうところに頭が全く私どもはいっていませんで、とにかく利用者が輝いてほしいという思いだけで進めてきましたので、そこが今の課題ですが、欲しいとおっしゃる方に対して複製画プロジェクトというのを委託しまして、複製画にするお金を寄附していただいたら複製画を差し上げますよみたいなことも進めているところです。あとは、レンタルの申し込みというのが幾つかありますので、それに応える中で少しの出展料をいただくというような形にしています。  その取り組みから見えてきたものの2つ目としましては、ここに書かせてもらっているような受賞であったりということで、いろんな方から評価されて自信になって喜んでおられると。なかなかそれを目的に彼らは描いてなかったんですが、やっぱりギャラリーで、見に行ったときにお客様から褒められると非常にうれしいようで、それが励みになっているなというところで、やっぱり自信にもつながりますし、自己実現につながっているなと感じているところです。  早口でさっと言ってしまいましたが、ふしみ学園の発表を終わらせていただきます。 10: ◯岡本委員長  ありがとうございました。  説明はお聞き及びのとおりでありますが、もとの状況に復するまで、しばらくの間お待ちください。  本日の所管事項の調査におきましては、テーマについて、参考人も交えて委員間の活発な意見交換の場となるよう運営してまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  それでは、御意見、御見解等がございましたら、御発言願います。   (発言) 11: ◯浜田委員  どうもありがとうございました。松尾さんのお話の中で、つくり手の側から区分できないという部分があったと思うんですけれども、そういう障害者アートというか、アウトサイダーアートというふうに一般の芸術と区分するということについて、しないほうがいいんじゃないかという考え方もあるようなこともお聞きするんですけれども、その辺のお考えをお願いします。 12: ◯松尾参考人  私の表現が余りうまくなかったんですが、区分はしないという姿勢です。つまり、芸術系の大学の中で起こっていることというと、今、教育の過渡期にあるんだと思うんですが、むしろ若いつくり手たちは障害者の方々の表現に非常に憧れがあり、自分もあんなふうに表現したいと。変な知識とか教養、教育の外で自由に表現したいという憧れが一つあると思います。一つというか、多くの若者にあると思います。ですので、そうなりたい、そういう表現をしたいと思う気持ちが多くの芸術家にはあると感じられますので、つまり、彼らは何の区分もしていないと。  私のほうにも持ち込みはよくされるんです、こんなの見てほしい、私の作品どうですかと。そういったときに、一応、学歴等を見ますけれども、どこでどういう勉強をされてきたかというよりも、何に影響を受けているのというお話を聞いたときに、今、回していただいている中にありますが、アウトサイダーアート、あるいはアールブリュットといったものからの大きな影響があるという感想はよく聞きます。  逆に、例えばこれは障害者の方の描かれた作品なんだというふうに私のギャラリーに持ってこられる方もいらっしゃるんですが、その障害があるということは第一の特徴ではない、言わないでほしい、言いたくないとおっしゃる方もあります。そういったときに一番困るのは、やはり作品に、先ほど申しましたけれども、どこでどう生きて、どんな暮らししているのかというエピソードがつくことによって作品の強度は増しますので、どこまで御説明させてもらおうかなというところは戸惑うところです。逆に言うと、障害のある方の表現者の側から区分を取っ払ってほしいとおっしゃる区分があるというところですね、矛盾していますけれども。そこをどういうふうに越えられるのかという思いはジレンマとしてはありますし、世間の方もそういうジレンマを持っていらっしゃるのかなと思います。
    13: ◯浜田委員  よくわかりました。最初のほうに言われた話の中に、日展を頂点とする団体には入っていないというお話がありましたが、例えば、日展などには出展はしないということですか。 14: ◯松尾参考人  ほとんどの人は最近はしません。日本で芸術家の、特に美術に関してプロとアマの線引きというのはどこであるのかと皆さんお思いかと思いますけれども、やはり団体に所属されている方がプロです。つまり、生活が成り立つだけの制度の中で作品をつくり社会活動をされているので、それを制度というならば、そこにしか制度、システムはないですね。ただ、団体展のいろんな問題点もございますし、今の社会状況には合わないところもありますね。ですので、ほとんどの若い、いわゆる芸術系の学校を出た人は、所属はほとんどされないです。ただ、団体展というものは数多く存在しています。 15: ◯森下委員  とても参考になるお話をありがとうございました。私は障害者の方の作品というか芸術につながっていく過程のお話にすごく興味を持ったんですけれども、最初、府の障害者支援課のほうで説明をしていただいた八幡市在住の米田祐二君の写真展のことから少しお話をしたいんです。私の近所に住んでいる人なんですが、たまたまカメラを持って写真を撮っているうちに、お母さんが祐二君との会話というか、写真でもって表現をする。きょう、どんなふうに過ごしていたのということが写真でもってわかるとか、それから、さっきお話しいただいたコミュニケーションがなかなか言葉でうまくできないものを写真でもって表現しているということをお母さんがわかって、それでその写真を作品として出したら、障害者の作品展で評価をいただいて賞をもらったということがきっかけなんですけれども、今では彼の生きざまというか写真活動に向かう暮らしぶりを映画化して皆さんに紹介したりしておられます。やっぱり障害を持っていて、小さいころはとても大変で、理解ができないからパニックを起こしたりとかというようなことがあったけれども、今、彼はすごく生き生きして頑張っているんですが、周りも彼のことをよく理解して声かけをするようになったんです。そういうふうに彼の持っている表現力をたまたま写真で、「ああ、このことが言いたかったんだ、このことに感動したんだ」ということが伝えられるということを発見したというそこの過程で、やっぱり彼にかかわってくれていた障害者施設の皆さんだとか家族だとか、そこがすごく大きな力になっていたということを私は感じるんです。その点で、きょう紹介していただいた方たちというのはごく一部の方だと思うんです。みんながみんな、そんなふうに芸術で表現できるということではないと思うんですけれども、一人がそんなふうにそのことを通してコミュニケーションをとれたり生き生きできるというその暮らし方が、ほかの皆さんにどんなふうに影響を与えているのかということと、それからお聞きしたいのは、最近の現場で障害者の皆さんとかかわる職員の皆さんの意識というのは、そんなふうに変わってきているんでしょうか。こういったもので表現するだけではなくていろいろあると思うんですけれども、これはたまたま一つの表現方法だと思うんですけれども、その辺の努力というか、その辺を聞かせていただければと思うんですけれども。 16: ◯寺本参考人  話し始めると、とめどなく出てきますので、どうしようかと思いながらですけれども、まず、おうちの方とかの発見とおっしゃったんですけれども、他者への影響はどうだったかという点については、小さいときから重度の障害があるというと、脚光を浴びるということは余りなくて、御家族の方も前面に押し出して自慢をするということもなかなかできなくてというところで、言葉がいいかどうかということはあるかもしれませんが、多くの期待というものを寄せられずにずっと大人になるまで来られているケースが多いかなと思うんです。表現をして、いろいろなものが我が子から形としてできてくるわけですよね、お仕事はしなくて、作家活動によって絵ができるとか、陶芸で何か粒々ができるとかということになると、やはりおうちの方としては「よく頑張ってきましたね」ということになるんですね、帰ってこられると。何もされていないと、なかなかよく頑張ったねと正直言えないと思うんですけれども、おうちの方が、「ああ、よく頑張ったね、きょうは何を描いたの」とか、そういうお母さんからの会話の種類はまずふえたかなと。そういう中で、本人は言えなくても、気持ちとか心とかそういうものの空気感、色というものがかなり心地いいということもありまして、おうちで安定して過ごされたりということがありますので、みんなが穏やかになるという影響はあるし、御本人にとってもうれしいでしょうけれども、御家族にとっても、ある意味かわいいだけではなくて、我が子が誇りに思えてくるということは大きい影響かなとまず思います。 17: ◯森下委員  発見できて評価される方はいいんですけれども、その人の影響で、周りも別の形で一人一人が大事にされる、それから、みんないいところを持っているんよという、そういうふうに変わっていく刺激になっているのか、その辺を知りたいです。 18: ◯寺本参考人  先ほど言いましたように、「やっほぅ!!」を誕生させたのは最終、最後でして、それまでにその方たちの好きなことを全部活動にしましたので、その時点で得意なことを仕事にしているという頑張った感を皆さん持っておられますので、それがなかなか持てなかった人たちが最後「やっほぅ!!」でしたので、「やっほぅ!!」で受賞した人が立派ではなくて、そこに打ち込める。どんな絵ができても、「わあ、すごいね、これ何ですか」とかというやりとりの中で置いてけぼりにならないというところから御家族にもお返ししますので、「やっほぅ!!」があることで、逆に全ての人が評価されている形がとれたかなと思っています。 19: ◯二之湯副委員長  どうもありがとうございました。きょうは、理事者に初めプレゼンをしていただいたので、そこでまずお伺いします。きょうと障害者文化芸術推進機構なんですけれども、障害者の社会参加を促進するということで取り組みをされているのはよく理解して、非常に頑張っていただきたいと思うんですけれども、この社会参加ということの定義で、この機構がする取り組みの当面の着地点といいますか、目標はどのあたりに定められておられるのかなということでお伺いしたいんですが。 20: ◯南障害者支援課長  昨年、きょうと障害者文化芸術推進機構を立ち上げまして、先ほども御紹介した企画展等をこれまでやってきておりますけれども、やはり社会参加という意味では、作品をつくられて、社会なり地域に対して、さっきも少し出ていましたけれども、評価をいただいて、さらに一般の方と交流をする、共生社会を目指すというところが一番究極の目標だと思っておりまして、ただ、多くというか、今いろいろな形で施設の方とかとかかわりを持つようになってまいっておりますけれども、当事者の方が制作されたものが地域とか外につながるというところがまだ十分できていないところがたくさんあるように感じております。ですので、当面、この機構を通じてどういうことを中心にやっていくかということですけれども、先ほども少し申し上げましたが、例えばサポーターの方などを通じて、府内のいろんな方が制作された製品をまず発掘をして、それを社会というか地域の方に見ていただく、触れていただくような機会をつくっていくことを通じて当事者の方が社会参加をするというか、社会と交流を持つ、あるいはコミュニケーションをとるというところにつなげていければいいかなと考えております。その一弾として、こういう企画展でありますとかサポーター養成というところに、今、力を入れようかなということで取り組んでいるところでございます。 21: ◯二之湯副委員長  今年度から始まったということなんで、今の御説明で理解できるんです。作品なり製品を見てもらう機会も少ないので、まずは見てもらおうと、そこでいろんな交流が生まれますよというところなんですけれども、例えば見てもらうということでいっても、こういう取り組みを京都府もやろうとなったというのは、恐らく松尾参考人にいろいろと説明いただいたようなアールブリュットというものが美術の世界で、全世界的に非常に比重が大きくなっていったということがあると思うんです。私はその着地点でお伺いしたかったのが、寺本参考人のお話にもありましたけれども、作品が商品になって、欲しいという人があらわれて市場で価値を持つ。市場で価値を持って、それこそ松尾参考人の言葉をかりたら、歴史に残るというものの可能性が出てきたということですよね。そういうことをある程度突き詰めて、市場においてしっかりとした位置を占めるということになったら、さらにこの分野の存在感というか発信力が高まるでしょうし、アールブリュットの定義では、別に障害者のアートということに限らないということですけれども、その一角を占める障害者の方々の存在価値というのは非常に高まってくるんじゃないかということで、私が今お話を聞いて思ったのは、美術市場の中で評価を受ける。美術と言わなくても、例えば先ほどの京都市ふしみ学園さんのほうでは、日用品といいますか、陶芸のふだん使いのものとかTシャツとかそんなのがありましたけれども、ああいう製品でもいいと思うんです。そういう市場での評価ということ、ここが大事じゃないのかなと思って、これはファイナンスの部分でも大事ではないかなと思うんですけれども、そのあたりというのは、その辺まで展望されているのですか。 22: ◯南障害者支援課長  機構での取り組みとしては、1つは、いろんな施設とか作家さんの作品をいずれはアーカイブ化して、そういったところで外の方からも見ていただくとか探していただけるような形をつくっていきたいなと思っています。それは、おっしゃったように、例えばそれを作品として市場に売るようなことも含めて、そういったのに使っていくようなことも考えたいと思っています。ただ、どうしても、まだ今、どこにどういう作品が埋もれているかとか、あるいは施設の中で、芸術活動されていてもなかなか保存ができていないとか、課題が手前の段階で大分いろいろあるような状況もありますので、そこをまず対応しながら、いずれはそういった作品をアーカイブ化したり、きちんと市場に出していくということも含めて対応していきたいと思っています。まだ当面、その前のいろいろな作業をやる必要があるのかなと。  ただ、先ほど来、御紹介した企画展の中で、実際ああいう形でいろんな方に触れていただくことで、ぜひこれを買いたいというような方も既に何件か出ておりますので、もちろんギャラリーを通じてそういった接点を持っていくというのも一つですし、将来的にはそういったアーカイブ化みたいなものも含めて検討していきたいなというふうに考えているところでございます。 23: ◯二之湯副委員長  これは始まって1年足らずということなんで初めの答弁のようなことは理解をいたしますし、今の答弁のこともよくわかるんですけれども、今はまだ、なかなか人にいろいろ見てもらうというところに至らないところが多くて、そこをされているということなんですけれども、やっぱりこの取り組みをする者として、まなざしは遠くを見てどこを目指すかということはやっぱり大事だと思うんで、そこの答弁がなかったんです。機構としては、そういう目標はないのですか、あるんですか、どうなんでしょう。 24: ◯上條健康福祉部副部長(福祉担当)  現時点で、そういう美術的価値を目標に、到達点をどこまでしようということはございません。まずは障害のある方々のこういう活動を活発化していくということによって共生社会、皆さんが交流できる場所をつくっていく中で、ただそれを終点にするのではなくて、御指摘のように、そういう美術的な価値も高めることによって裾野も広がっていくという御意見も当然いただいていますので、今後の活動の目標として、そういうことを念頭に置いて進めていきたいと考えております。  以上です。 25: ◯二之湯副委員長  なぜ私がお聞きしたかといいますと、きょうは2人の参考人に来ていただいて、松尾参考人と寺本参考人それぞれのお話に非常に感銘を受けたんですけれども、入り方が違うんですよね。松尾参考人は、いわゆる世界の美術、現代アートの市場動向とかいった大きな動きの中、そういう文脈で語っていただいて、アールブリュットの一角を占める障害者の芸術活動には非常に可能性があるというお話で、一方、寺本参考人は、重度の知的障害者の方々の支援という福祉のことから始められて、実は福祉のよいあり方を追求されたら、彼ら彼女らから生み出されたものが市場で価値を得るまでになったし、福祉の施策としても非常によい方法が見つかったというようなことだったと思って、極めて違うところから、相反するようなところからの話だったんですけれども、僕が伺う限りは、接点はあるなと思ったんです。きょう、理事者は、障害者支援の関係の方が来られている、しかもこの委員会で取り扱うということは、京都府としては障害者支援の福祉施策から始まっているんですよね。ですから、この取り組みはそういうふうなところの考えが非常に大きいということはよく理解するんですよ。ただ、こういった取り組みを続けていこうと思ったら、やっぱりファイナンスの部分が非常に大きいですし、しかも、先ほど寺本参考人の話で、初めはそういうふうに思っていなかった、そういう意図はなかったんだけれども、やってみて、作品や製品が市場で評価されて、結局、利用者さん、制作者の方が非常に喜ばれるという自己実現という言葉まで使われて評価をされたわけだから、やっぱりそういうところの考え方を大きくとっていく必要があるんではないかなと思うんです。なので参考にしていただきたいなと私は思います。  それで、機構のことで少しお伺いしたいんですけれども、今は展示、紹介で交流を促すということですけれども、その作品が欲しいという話も出てきていると。これは、仮に販売できたら、その売り上げはどういう形でプールされて使われていくというか、それは、決まりは何かあるんですか。 26: ◯南障害者支援課長  まさに今始まったばかりと申し上げるわけではないんですが、企画展を数回やって、実際この作品をぜひ購入したいというお声がけいただいた件も何件かございますけれども、今の基本的な考え方としては、生産者の方とか施設のほうにお話をおつなぎして、あとはそちらで調整というか交渉していただくという形にしております。なので、今時点で、先ほど申し上げたアーカイブとかそういった大がかりなことがまだできておりませんので、企画展で展示させていただいたものをぜひ買いたいということであれば、直接おつなぎをしてお話をしていただくというような形で今やっております。 27: ◯二之湯副委員長  これはまた松尾参考人に専門的な世界のことをお伺いしたいと思うんですけれども、要はつくり手と送り手と受け手というのがおられて、特に障害者の芸術活動に関しては、送り手というものが非常に重要になるわけですよね。やっぱり送り手もボランティアでずっとできないでしょうし、多分、福祉ということで取り組まれるということになったら、考え方としては、その送り手の方もこの機構に協力するということで、例えばここでの売り上げは機構に多く入れるとかでこういう活動自体を盛り上げていくというふうにお金を回していくやり方はあると思います。ただ、もっとつくり手の方の芸術家としての権利といいますか、そういうようなものを尊重するという形でのお金のあれもあると思うんです。それはやっぱり、どこまで意識されるかということはあるんでしょうけれども、いわゆるつくり手のいろんなモチベーションとか、またアールブリュットの市場が日本でもっと大きい、また仮に世界的なところでこの取り組みをされるとなったときに、ここの機構を通じてやるのか、もう直接市場とやるのかみたいな話とかも出てくると思うんです。このあたりは松尾参考人さんはアドバイザーもされているということなんですが、個人的なお考えで結構なんで。 28: ◯松尾参考人  そもそもアドバイザーにお呼びいただいたのは、1つは、いかに効果的に作品を見せて、機構のこの場所と作品が魅力的に社会に出ていけるか、そういう場所のつくり方についてのアドバイスでお呼びいただいたんです。そして、やっぱり今のお話のようなことは機構の方々と何度かお話しした覚えがございます。いわゆる私がふだんやっている仕事の中で申しますと、ギャラリーというのが非常に社会的信用になるんです。つまり、ここで言うところのspace co-jin(スペース コージン)です。やっぱりco-jin(コージン)というところがあるかないかによっては、マーケットに参加できる資格があるかないかにかかわってくるんです。  つまり、さっき申しましたけれども、毎週のように各国各地で芸術見本市をやっていると。それは募集要項があって、出展料がいくらですと。ただしと書いてあるのは、コレクターかギャラリーに限ると。しかも、ギャラリーは場所を持っていないといけない。日本で、少し言い方は悪いですが、風呂敷画商というのが昔からおりまして、場所を持っていない、電話も持っていない、風呂敷に包んで家から家に売りに行く、これは認められていないんですね。どんなに小さくても展示スペースを持っていること、年間、例えば3分の1とか半分は展示をしていること。それから、現代美術に関していえば、その作家が、大体9割でしょうか、90%は生きている作家を扱っているかどうかというところを審査されるんです。そういう意味で言うと、co-jinは今そこのスタートラインに立っているので、そのやり方で出ていく必要があるんじゃないかと思います。つまり、作家個人ではそういうところには出ていけないし、これは日本でやっている芸術見本市なんかでもそうです。つまり、せっかく送り手としての側ができて中身もできつつあるのだから、そういう動きはしていただけたらいいと思っています。  そして、大体どこの芸術見本市もアートフェアと言っていますが、障害のあるなしとかという条件はどこにも一切ありませんので、唯一、今生きている作家を扱っている画廊なのかどうかということですね、というのが一つ大きいです。  それから、我々ふだん、京都にはたくさん芸術家がいて、画廊を通すと高くなるからといって交換するんですよね。実際のところは、それがだめにしてきています。この作家とこの作家が、画廊を通したら画廊に手数料を払わなければいけないから、では、こっそり交換しようね、あるいは見に来た人が展覧会が終わってからこっそり買うと。こんなことをしている間に作品の存在感が薄れていき、値段が全く社会的に安定しなかったんです。ですので、手数料を払ってでも、やはり画廊という機構というのでしょうか機能を通じて販売されたほうがいいと思います。おおむねですけれども、貸しスペースというのがございまして、貸し画廊と呼んでいますけれども、使う側が1週間なり10日なり場所を借りる。借り賃を出して展示会をすると。こういった場合は、大体70%と30%というふうに何となく慣例があります。つまり、作家、つくった人そのものに70%、残りの30%は画廊が顧客への営業活動、それから納品といったことの業務に対する手数料ですね。これは企画展と言っていますけれども、これは画商さんの話で、私の画廊もそれにかなり近いのですが、作家さんのほうから賃料はいただかないです。私がいいなと思った、あるいは周辺の者と相談していいなと思った展覧会だけをします。この場合は大体半々なんですね、50%・50%。つまり、つくった人の苦労もあるけれども、それを営業していくいろんな努力もございますので半々にしましょうと。ここが微妙で、あとは人間関係を築いていく中で、いや、それではかわいそうやなと。では、60%にしましょうかとか、これはケース・バイ・ケースです。ただ、手数料というものを、いってみたら機構の場合はプールしていかれるでしょうし、絵の具代にかわっていく可能性もあるし、額代にかわっていくでしょうから、そういう意味でいうと、営業活動というのは今後できる限りチャンスをつかんでいただきたいと思います。ただし、さっきも少し言いかけたんですけれども、全世界いろんなところで芸術見本市をやっていますけれども、出展料が大変高いんです。日本からよその国に出ていくだけでお金がかかるのに、それに出展料というものがかかってきます。ただし、その莫大な出展料は何に使われているかというと、世界中のコレクターを呼ぶお金、招待するお金に使われています。だから出して損はないです。ただ、大変です。 29: ◯二之湯副委員長  ちょっと長くなるんで最後にします。ということは、これを本当に息の長いというか、今、松尾参考人がおっしゃったような文脈でやっていくとしたら、実施主体は誰がいいのかなという話なんです。こうやって条例をつくって社会参加を促進するというのは行政の仕事だと思うんです。例えば、こういう取り組みをやりましょうといって地元企業の方とかも含めて巻き込んでいくと。それで、いろんな障害者の施設の方にこういう情報提供をして、ここに参加できるようなところまで後押しするというのは行政として非常に大きな仕事だとは思うんですけれども、今のような物すごい世界の中で、しかも取引の額が大きな業界ですし、では、これの中でやっていこうとなったときに、今回は3回ぐらい出展したいと思いますといって、例えば京都府も一部出展料を出しますといっても、とんでもない額になる可能性もあるわけなんですよね、きっと。だから、機構に入っておられる皆さんの中での役割分担もあるでしょうけれども、この機構というのはどういう性格のものになれば、これにかかわっておられる方がみんなそれぞれの力を生かしてうまくできるのかなということを松尾参考人に最後お伺いします。 30: ◯松尾参考人  そうやって世界のマーケットに出ていくというのは、これは実を言うと、障害者の方々のみならず、京都には芸術系の大学から毎年3,000人卒業してきて、ほとんど職がない状態ですね。こっちにも大きな問題がございます。両方出ていくことができればというのが私の立場から申し上げられることなんですが、co-jinを通じてということに関して言うと、売っていく。売っていくというと何とも下世話な話ですが、自前で活動資金をつくっていく方法として、作品、オリジナルをそうやって販売していく方法が一つ。それはお金がかかると申しましたけれども、かけない方法ももしかしてあるかもしれないです。つまり、既にそういう芸術活動、芸術見本市に出展しているコレクターや画商を通じて出していくと。そことの関係をつくる。つまり、co-jinだけで賄っていくのではなくて、co-jinからそういう新しい顧客というのでしょうか、営業先を探していく。それによって経費的な負担は減るのではないかと思います。  それからもう一つ、先ほど製品とおっしゃっていましたけれども、これはマルチプルなどと呼んでいるんですけれども、複数生産品。芸術というか、私がやっている中にもたくさんあるんです。例えば、さっきの草間彌生さんは版画がたくさん出回っています。あるいは、トートバッグになったりしています。これの版権をしっかりちゃんと守る人が必要だと。極端な話、権利関係に詳しい方に入っていただき商品開発していく。そうすると、軽くてたくさんあるものでしたら安く手に入るということが一つあるかと思います。その両方をやっていければ一番いいのではないでしょうか。 31: ◯二之湯副委員長  ありがとうございました。 32: ◯渡辺委員  お二方の参考人、本当にいろいろなそれぞれの立場からのお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。特に寺本参考人におかれましては、私も地元で御縁もございまして、初めのうち、京都市いたはし学園のほうとか、京都市ふしみ学園のほうに行かせていただいたときには、ここに書いてあったようなX線のフィルムの仕分けとか、空き缶のアルミ缶とスチール缶の仕分けとかをされていたことが記憶にあります。そんな中で、それぞれの方々の特性というか、好きなことを見つけてということで、例えば高齢者の方々のお食事の接待をされるような外に出てされることとか、本当にいろんな形で積み重ねてこられたことに、改めて敬意を表したいと思います。  特に「アトリエやっほぅ!!」さんにおかれては、障害者の方々の作品を見る機会はよくあったんですけれども、それをクリアファイルとか手拭いとか、私もこの写真を見ていますと、幾つか私の事務所にもあって、なかなか作品までは買えないけれどもクリアファイルとかそういう小物類は事務所にも展示して、人が来ていただいたときには、これは「アトリエやっほぅ!!」さんの作品だとちょっと紹介することによって、障害者の方々のことについて、せめて少しでも一緒に考えられるようなきっかけにさせていただきたいなと思っております。特に、先ほどおっしゃっていたように、本当に好きなことをやっておられるというのは、私たち以上に打ち込んで、私らだったら絶対長続きしないような作業もずっとされるということは、障害者の方の特徴というか長所ではないかなと。いろんなパターンの方がいらっしゃると思うんですけれども、自分の好きなことを認めていただいて、それをさせてもらえる喜びというのは、やっぱり心の安定につながってくるのかなというのを感じさせてもらいました。  それと、私はこの間、天才アート展というのにも寄せていただきまして、初めのころは余り人が来ておられなかったみたいだったんですけれども、大変多くの方々が来られたというのも、やはりいろんな方々がその価値を見つけてPRをして、みんなで見に行こうというような機運が、少しずつですけれども高まってきたのではないかなと。その先駆けを「アトリエやっほぅ!!」さんがしていただいたんだなと思っています。そういう面でも、特に御本人も喜ばれると思うんですけれども、やっぱりその御家族の方が、自分の子どもさんなり御家族の方の作品がそうやって製品になって販売されるということについてとっても喜びを持っておられるのかなと思うんですけれども、そのあたりの実感としてはどうですか。 33: ◯寺本参考人  まさに今おっしゃられたとおり、絵を描いて、1つの絵が学園にあるというところではよく頑張ったねで終わるんですけれども、クリアファイルとかレターセットとかポストカードがたくさんあるんですけれども、それをつくって販売することで親御さんはかなりお喜びになりますし、ポストカードを10枚とか購入して親戚に、うちの子が描いたんよということで、ある意味かわいい子ではあったんだけれども、自慢できる子にかわっていくというのは私が想像していた以上のものだったかなと思います。そこからまた、障害のある御本人が自信をつけていくというところは、私たちが何かしたではなくて、もともと彼らに備わっていた内なる能力であったり、自分でアピールできなかった部分を私たちがかわってしていると。先ほどの松尾参考人のお話で、つくり手と送り手と受け手というお話があって、まさにそこかなと。  つくり手は自分を表現しているんですけれども、何も送ろうとも思っていない、そこで送り手が価値を見出していろんなところに彼らを認めてもらいたいと。障害者なのにではなくて、障害者だからこれだけのものができるんですという思いが私たちは強くて、そういうのを送り手の思いでしていきますので、すごくエネルギーも要ります。ただ、先ほど絵を販売してどうこう、どちらにというようなお話もあったんですけれども、まさに今そこが一番の課題で、私はそこまででよかったのにと思っているんです。そこから先になると知的財産権の問題とか著作権の問題とか出てきますので、今まで両手を上げて喜んでくださっていた御家族の皆さんも、また違う意味での権利が発生したりしてきますので、思われている以上に送り手の金銭的負担は非常に、エネルギーだけではなくてかなりの。松尾参考人もさっきおっしゃっていましたとおり、本当にお金がかかるんです。でも、学園としては仕事という位置づけに置いていますので、平等に少ない工賃をお支払いするんですけれども、工賃が出せるような実態ではない中で出していますので、これ、いつまで続けられるかなというのが、今、私の正直な不安の一つでもあって、少し家族さんのというところから話はずれたんですけれども、今、そういうすごい喜びとすごい課題の両方を持ちながら活動しているかなというところです。 34: ◯渡辺委員  本当に御苦労がいっぱいあると思うんですけれども、会話が作品を通してすごくできたりとか、またこの間、天才アート展、ちょうど初日のしょっぱなに行ったら、まだ準備をしておられたような感じで、親御さんも含め自分の子どもの作品をどうしたら皆さんによりよく見てもらえるかということで、本当に何日もかけて一生懸命準備をされていたみたいです。そういうようなところで、我が子と、家族と、そしてまた来られた友達とか来訪された方との会話が作品を通してあるということで、すごく生き生きとされていましたし、つくり手の方も本当ににこにこされたりとか、すごく感銘を受けました。でも、今おっしゃっているような課題がある中で、先ほど少しレンタルも進めようとしているというようなことで、天才アート展でもレンタルの価格表みたいなものをもらって、例えば2カ月に1回入れかえますよとか、そういうふうな形で設置する場所をつくったら、そういう形で作品を送り込んで設置してくださるというシステムとかがあるとお聞きしたんですけれども、レンタルは「アトリエやっほぅ!!」さん独自でやっておられるのですか。 35: ◯寺本参考人  独自でというのではなくて、レンタルを営業しているわけではなくて、いろいろなフェイスブックとかホームページ等々で見られた方々とか、またいろいろなところを見て回っておられて、ギャラリーを見に来てくださったそういう専門家の方々が、「うち、次ここでギャラリーをするんで、この絵とこの絵を貸してください」という形で北九州とか広島とか豊橋とか滋賀県とか。「この絵を」とか、「この方の」というので豊橋とか九州から来られて、うちの絵を見て選んで持って帰られるとかいう形で、レンタルというよりは謝礼です。なので、1点幾らとかではなくて、お貸しして、例えば1万円とか2万円とかいう。うちは料金表があるわけでもありませんし、なので当然、天才アート展などは無償です。出させていただいたからって、向こうにそういうシステムはないようですし、ただ画材等々、うちの継続のために今後かなりそこら辺は必要にはなってくるかなと思うんで。  レンタルを自分が主体でするということは難しいですし、ただ、作品も傷んでいく、また保管倉庫という面でもかなり施設の負担が今大きくなっている中で、できればco-jinさん、まずギャラリーをつくっていただいたんですけれども、そういう倉庫で、主体になってそういうことをしていただけるようなシステム、例えば奈良のたんぽぽの家、エイブル・アートさんとかでもきちっとあったり、滋賀県のNO-MA(ノーマ)とかでそういういろいろあるようですので、何か京都でもそういう形のものをしていただけたら。自分ではなかなか小さい施設ですのであれですけれども、全京都をそういうふうに網羅するようなことができていただけると、先ほどの松尾参考人のお話のいろんなことも考え合わせた中で、やっぱり両者が、どっちかが損でどっちが得ではなくて、ウイン・ウインでみんなが幸せになれるような方向で、芸術的価値のあるものも将来的に消え行くことなく保管ができてとかいうふうなことは願いとしては持っています。 36: ◯渡辺委員  私も天才アート展との関連が少しわからないまま質問させてもらって申しわけなかったんですけれども、やっぱり実物をレンタルするとか持っていくとなると、かなり傷みとか、もう取り返しがつかないことがあるかもしれないので、何か聞いていると、複写をして、それを額に入れて、それで先ほど言ったような形でやろうとされていて、この前行ったときそんな話を聞いたんですけれども、それが実際にできているかどうかというのがまだわかっていないんですが、できたら、公共施設とか病院とかに設置を、積極的に京都府も一緒に、今、寺本参考人が言われたみたいに、一つのところがやるのは大変だと思うんですけれども、せっかくco-jinを拠点として、そういうふうなネットワークというか、多くの皆さんに障害者の方々のアートを見ていただく。それが障害者の方々を理解する糸口になれるような、そういう取り組みをできたら京都府のほうも協力をして、そういうシステムと言ったらおかしいですけれども、できるだけ京都府内全部に、例えば広域振興局にはそういうところのコーナーをつくってもらうとか、そういうところもあるかと思うんです。ですから、そういう場を広げていただけるように、これをきっかけに、できたら考えていただけたらうれしいなと思いますので、よろしくお願いをいたします。 37: ◯加味根委員  すばらしいお話を聞くことができまして、本当によかったなと思っています。障害を持っている仲間たちの共同作業所での活動などは、本当はこういうさまざまな問題を起こしながらも、何とか少しでも利益を上げるためにということで、決まった枠組みの中で押し込めるというようなことに往々にしてなりがちだと思うんですけれども、障害を持っている人たちが、来ることが励みになって、好きなことができるような働き方ということで、実際それを利用者主体で共同作業所の運営や仕事づくりも具体化をしてつくりかえられたという、ここが本当にすばらしいし、そういう中で、一人一人の持っている思いなりやりたいことを、こういう芸術文化という形で表現できるところまで支えて具体化をされたという、これは本当にすごいなと思いまして、感動いたしました。  こういう活動が、全部の障害を持っている仲間たちが生活して働いているところでできればいいなと、そういう支援をしていく必要があるなということを思ったわけなんですが、利用者主体の活動づくりというところまで踏み込んでやるということは、なかなか大変なことではなかったかなと思うんですけれども、これまでの事業を転換するわけですから、その決断に至る話し合いというのは大変なものがあったと思うんです。同じお話の繰り返しになるかもしれませんけれども、その辺の議論なり思いはどうだったのかというのを、改めてお聞きしたいなと思うんですけれども。 38: ◯寺本参考人  そのときあまり苦労とわからなくて、既存の作業も大好きでやっておられる方はありましたので、それを大きく変えるという意識ではなくて、それに乗らない方々が何が好きかというのを見きわめる中で、その当時は新聞に入っているアルバイトのチラシを毎日、職員が何かないか、何かないかということで見まして、散歩が好きな人は散歩に行かないと安定しないので公園まで散歩に行っていたんですけれども、働くということを柱にしていたんで、散歩でお金は稼げないと思って、何か散歩でお金、散歩でお金と思いながら見たら、ポスティングの仕事があるやんということで職員が行って面接して、当時、個人さんでそういうのは多いんですけれども、施設でそういう契約というのはなかなかなかったんですけれども、そういう形をとらせていただいて、今も施設の周り1,500軒近く一番重度の方々も散歩で一軒ずつ。初めは怒られました。植木鉢を蹴ったりとかもありましたんで、「人の家に何してんねや」みたいな形で。でも、ここで10年近くやっていますと、御苦労さんと言ってくださるんで、本人たちは散歩のつもりですけれども、ポスティングすることで地域の人から挨拶もしてもらえて、ありがとうと言ってもらえるということで、一つ一つ全てがそういう自然な中で足していったので、変えたのではなくて。足していって、ちょっと収拾がつかなくなって職員に逆に申しわけないぐらい忙しい思いもさせています。馬小屋の掃除にも行っているんですけれども、やっぱり動物が好きな人がいて、お話ができないし、ひとりでやることが好きな人は、馬小屋はちょうど狭いのでひとりでしか仕事ができないんです。そしたら、ひとりの世界で掃除したら確実にお金をいただけるし、あとで馬も見られるしということで、ストレスなく仕事かできたりという、そういう形なので、あまり改革という感じではなかったです。 39: ◯加味根委員  そういう中で一人一人の方が持っている才能を見つけられて、絵を描かれたりいろんなものをつくられたりというところを伸ばされていくという、本来、障害を持っている人の持っている力だったんだろうけれども、それを発見もして、そこを応援してあげるという、それを実現するためにちょっと支援してあげるという、これはなかなか大変なことだろうとは思うんですけれども、そういう専門的な指導員さんというか職員さんの持っている力と相まってこれは可能になったんだなと思います。  そういう意味では、障害を持っている人はどんなに重度であっても、何か社会に役に立ったり貢献できる、そういう活動ができるということを本当に文字どおり示すような例ですばらしいなと、つくづく思っています。  課題として言われた、実際つくられたいろんな製品なり作品をお金にしていくということであったり、いろいろと支えていくという点でいろんな課題があるということですけれども、そこで京都府なり推進機構の役割があるということもだんだんわかってきたわけですが、今いろいろと質問も出されて、いろんな取り組むべき課題なり方向性なりも出てきたとは思いますけれども、なかなかお金にならないけれども、取り組んでいく活動自体を支援するということがまず大事だと思うんです。そういう点で、そういう共同作業所の皆さんが取り組んでいる活動に対して推進機構なり京都府として支援をするようなことはどんなことが今考えられているのか、今後どういうふうに取り組まれるのか、そのあたりもちょっと聞いておきたいんですが。 40: ◯南障害者支援課長  京都府というか、まず機構の取り組みとしては、先ほど少し御紹介しましたけれども、例えばco-jinを使って、施設で芸術作品を展示する際の展示のやり方ですとか、配慮すべきポイントみたいなものの講習会をやったりというのもしていまして、そういったところに多くの福祉施設の方にも御参加いただいているような取り組みをやっております。そういったところで、まず芸術活動に取り組んでいただいたり、既に取り組んでいただいている施設のほうで、しっかりそういった技術を生かしてもらうという場としても使っていただけるように、機構としては考えております。またあわせて、先ほど施設長のほうからありましたけれども、京都府のほうで地域ごとに障害をお持ちの方のアート展をやるようなところに助成をさせていただいたりといった事業もございますので、そういった事業や支援者の研修とかを通じてやっていきたいなと考えております。 41: ◯加味根委員
     最後に松尾参考人にも少しお聞きしたいんですけれども、障害を持っている人でもすばらしい絵が、僕らにはとても描けそうにない、本当に豊かな創造的な絵を描かれるんですけれども、どの国の人であっても、ここにもありますけれども、自分を表現をしながら夢を語っていくというようなことで共通性があるようなことが書かれてありますけれども、こういう障害を持っている人が描かれた絵画や健常な方も含めて、まぜこぜでと言ったらおかしいんですけれども、こうやって展覧会を開くようなことが広がりつつあるということですか。京都でもどんどんやられてきているというような状況なんでしょうか。 42: ◯松尾参考人  大きな形ではまだないですけれども、ごく当たり前になりつつあります。近いところでは、滋賀県近江八幡市のギャラリー、ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(ノーマ)さんです。そこは初めから専門的な芸術家と知的障害の方のというのが一つのポリシーでしたし、奈良でも、多分、半年から1年ぐらいつき合っていくんですね、芸術家と誰かと。誰かというのは、自閉の方だったり知的障害の方だったり。そういう意味で言うと、コラボレーションというのは非常にふえてきています。それともう一つ、私の資料にも書きましたけれども、最近、芸術系大学を卒業した人の中に、認知症のグループホームですとか、知的障害の通所のところや入居のところの指導というのでしょうか、陶芸科を卒業した人がそういうところへ就職する、絵画科を卒業した人がそういうところへ就職するということは大変ふえています。そして、その就職した元芸術大学の学生たちが個展をしたりグループ展をしたりというところに、必ずそこでの経験というのはフィードバックされていますので、例えばその観客の中に施設の子たちがいっぱい見に来るとか、親御さんがおいでになるとかというような水面下といいましょうか、展覧会本来の目標ではないにせよ、そういう影響とコラボレーションというのは起こっています。そして、ふえています。 43: ◯加味根委員  そういう活動をもっと多くの市民、府民の皆さんに見ていただきたいし、知っていただきたいなという思いをきょうは強くしましたので、それは京都府や推進機構の役割でもあろうかと思いますし、そういう努力もされていると思うんですけれども、もっとアピールするような形で目に触れるような機会をぜひつくっていただきますようにお願いをして終わりたいと思います。 44: ◯山口委員  京都市ふしみ学園の活動にはいつも敬意を表しております。従来の活動から幅広く、芸術とかそういった分野も含めて、その方に即した形での活動をしていただくことによって展開をされているわけですけれども、来られる方は、基本的には18歳以上の方ですから、要するにその前段階は支援学校、その前は育成学級かもしれません。そういったところにいらっしゃる方ですから、当然、今、我々が常に言っていることは、発達障害の方も含めて、小さな年代から、ずっと重層的にその方の個性を追っていく中で社会に参加していけるような社会的支援というものが大事なのではないかということをお願いしているわけです。ですから、この学園に来られたときに、もちろん種々の変化がありますから、子どものときから変化している部分もあろうかと思うんですけれども、そういう過去の履歴の中から、来られる方の前の、例えば支援学校なら支援学校との連携によって、この方はこういう活動をしていただくことが望ましいという形のことをやられているのかどうかはあれなんですけれども、スムーズに入っていける部分もあるんではないかと思います。そういう来られるときに変化していく部分と、それまでのところで、この方にはこれが適しているんではないかというようなことの判断等は、どういう形で今何か連携されているかどうか、ありましたら。 45: ◯寺本参考人  もちろん来られる前に学校での活動内容であったり、得意、不得意というのはお聞かせ願ってはいるんですけれども、置かれている活動の環境が余りにも違い過ぎて、それをそのまま施設でその方が同じようになるということはまずないというのが基本になります。学校は広いですし、しんどくなったら運動場を走ったらすっとします。施設では、京都府のほうへ行けば広いところもあるかもしれないんですけれども、京都市内ということであると運動場はほぼ難しい。また、陶芸をすごく頑張ってきまして、教えてきましたということで入ってこられても、やっていただくと、どうも本人が楽しそうでないとか。なので、一からその方が何が好きかというのはアセスメントすることになります。 46: ◯山口委員  ということは、教育委員会も含めてそのあり方を考えていただく必要性があるのかなと思います。来た段階では、学校で教えたことはとんでもないことであって、学園に来たほうが正しいというふうなことにもなりかねないということはないですけれども。ただし、やっぱり個人に即して、その人の方向を伸ばしていくというか、活動して生き生きと社会参加していくということは、その前の段階からも当然必要なことであるわけですから、これはまた支援学校等を含めて考えていただく必要性があるのかなと思います。  あと、松尾参考人にお伺いしたいんですけれども、きょういただいたレジュメを読ませていただく中で、私はなかなか理解ができないところがあるんです。一つは、障害者の方の芸術というものが、ここの文章で読んでいくと、障害があるないという形での区別というものが有効ではないのではないかという考え方が一つある中と、もう一つはアウトサイダーアートとかアールブリュットに関しての、例えば知的障害の方はみずからの命の発動といいますか、そういう衝動によって表現したい衝動というのが自然な形であらわれてくる。健常者とは違う形の根源的に持っているものを伝えてくるようなことが底流にはあるんだろうと、2つの書かれている部分があろうかと思うんですけれども、僕は理解が悪くて申しわけないですけれども、障害を持っていらっしゃるからこそきらり光るものが、言ってみれば既存のものではないようなものの中の感性であるとか表現力であるとかというものが発揮されてこういうすばらしいものが起こってくるという一つの考え方があるのかどうかということと、もう一つは、やはり障害者の方が、たまたまその方が個性としてそういう能力を持たれているんだろうかというか、ちょっと済みません、そこら辺がないまぜなファジーな理解をしているんです。その中にあって、ここの中でいろんな障害が今ありまして、知的障害というくくりの中と、もう一つは、ここで書かれている、例えば自閉症、それからアスペルガーでもそうかもしれませんけれども、知的障害を伴わないような発達障害なんかがある。そういった方々が芸術大学などに行かれる。そういった中で、この中でもやはり教育システムというものが機能しなくなってきているといったことも書かれている部分がありますけれども、例えばそういうふうなことであるならば、芸術は結果であろうと思いますし、作品を生み出していくということが一つの教育の目的といいますか、この方々の目的だと思うんですけれども、そうした場合に、今、教育システムみたいなもの、例えば何か発想として、こういうふうにしていくべき要素があるんではないかというお考えをお持ちだったら教えていただきたいんですけれども。 47: ◯松尾参考人  教育というのは大学と捉えてよろしいですか。各芸術大学は、旧来のジャンル分けは、縦割りなんです。彫刻、油絵、日本画。私が考える今後の教育というのはごちゃまぜ。またごちゃまぜと申しますけれども、全体が大きな工房であって、やりたいことをやれるようにする。それこそ、今、寺本参考人から伺ったように、その人をじっと見ていて何が得意なのかなということを、いわゆる健常といいますか、芸術系大学に進学した人にさえ必要なのではないかというのが一方でございます。つまり、今、人口といいますか、日本人誰でもというか、世界中みんなアーティストですよね。フェイスブックで自己表現できますし、つながりたい人とつながっていく。その中で、特化した能力を誰が見つけて、誰が伸ばしていくかといった意味でいえば、いわゆる芸術系大学にも必要であることというか、逆に言いますと、今足りていないのではないかという思いが個人的にはいたします。  個性という意味でいうと、障害も個性であると皆さん本当におっしゃいますけれども、そのとおりだと思うんです。それは、そういうふうに生まれた、そういうところに育ったというならば、私たち全員みんな違うものを持っておりますし、そういう背景から生まれてきたものはその人のものです。なので、それがたまたま社会生活がひとりではしにくいという意味で障害者というふうに言われてしまうけれども、それだからこそ、きらり光っているかというと、それだけを強調するべきではないんじゃないかというのが私の考えです。それぞれが生きてきたこと、それから生きていこうとすることに対する幸せになる権利というのは誰でもあって、それをみずからが開拓していける人もあれば、少し手を添えたら実現できる人もいるしという意味でいえば、みんな一緒じゃないかなという思いは非常に強くしています。  それから、例えばアスペルガーとか言い出しますと、私が20年、30年つき合ってきた芸術家が「実はそうやってん、この間わかってん」という人がたくさんいるんです。どうもおかしいなと思っていたんですよね。もうちょっと右に寄せたらと言ったら、右と左がわからない人、あるいはもっと隠れた障害といったら変ですけれども、色弱というか色がわからない人も実はたくさんいたと。そういうことを知らずに、その人がつくったもののそのおもしろさということで長いことつき合ってきて、そうやったんかということはよくございますね。  これが、画廊をやっている者として一般的な体験かというと、もしかしたら私特有の体験だったかもわかりませんけれども、出会うことは、偶然でしたけれど多かったです。 48: ◯山口委員  よくわかりました。あと、いわゆる社会的支援という観点から、欧米がすぐれているのか、日本がおくれているのかは、ちょっと理解しておりませんけれども、芸術家を育てていくとかそういった観点からいくと、パトロンがいてとかそういう形でどんどん支援をしていく。かつて日本も明治時代はそんなのがあったわけでありますけれども、今はなかなかそういうことが散見しにくいかもしれませんが、企業からそういうふうなことを応援していこう、そういうふうな法律もかつては整備されたことがあって、企業メセナですかね、やっていくべきだと思うんですけれども、なかなか実際上は、景気が悪いとかいろいろな観点であれですけれども、もっと社会的支援のあり方、この中にも、先ほどの機構の中にも企業とかというのが入っておりましたけれども、その点にある、もう少しこういうところがよくなっていったらいいんじゃないかと思われることがありましたらお教えていただけますか。 49: ◯松尾参考人  クラウドファンディングのように1人が巨額に寄附するとか支援するということに対して企業の方も、皆さん結構尻込みされるんですけれども、みんなで重ねていくというやり方ですね。例えば、ちょっとわかりませんけれども、ふるさと納税じゃありませんけれども、ああいう形で寄附をするというか、寄附という形をもっと広く何かおもしろい楽しい寄附の方法を考えていく。そして、納税するというか納税額が軽減されるとかというようなこと。  それから、芸術を見る機会をもっとふやすということでしょうかね。大学とかへ行っても、美術館に最初に行ったのはいつと聞いたら、うんと大人になってからだったり、それから美術館なんか行かないという人ももちろんいらっしゃいますし、やはり、見せる場へどれだけの人を誘致していくかという魅力の発信ですね。これは障害者の芸術のみならずですけれども、全体的に。京都というところはつくり手の非常に多いところですので、全体的な、芸術家は社会の中に必要なんやという意識のアピールですね、ことごとくいろんな手を使ってでもやっぱりそうしていかないといけない。欧米と違うのはそこだと思います。生きてて無駄な人はいないと。特に芸術家というのは、社会改革の先頭にいるんだという考え方がやはり大きいですね。特にアメリカはそうです。だから、そういう考え方まで持っていけるような、八方手を尽くしてやっていくべきではないかと。ですから、これは芸術文化の振興課がやることではなくて、産業振興課の方にもお手伝いいただきたいし、せっかくですから京都府内の議員の方々が横につないでくださるといいんじゃないかと思います。 50: ◯山口委員  ありがとうございました。 51: ◯北岡委員  ありがとうございました。改めてと言うと叱られますが、art space co-jinの機能、役割についてお二人の参考人のお話を聞かせていただいて、私自身再認識できましたし、より深く理解ができたと思っております。参考人のお二人にも心から御礼を申し上げたいと思います。  今さまざまにお話がありましたけれども、特にアウトサイダーアート、アールブリュットについてということで松尾参考人にも御示唆いただきまして、その中でも、2ページのところに、現代社会において、美術、ダンス、演劇その他芸術もありますけれども、まさしくダイバーシティを象徴する活動というところに私は大変感動したというか、こういうことなんだということがお話の中でよくわかりました。とすると、いろいろ障害のある人ない人、条例もありますけれども、こういった考え方をもとに美術や芸術に携わっていく、かかわっていくということがより人として、幼少期から、学校教育というのかどうかわかりませんけれども、いろいろな機会を捉えて育ちの中で必要なのではないのかなということをまず一つ感じたような次第です。  それで、松尾参考人にもお伺いしたいんですが、先ほどもお話がありました今の芸術大学等々の学生の皆さん、それから芸術家の皆さんの状況について教えていただいたんですけれども、具体的にそういった状況の中にあって、水面下でコラボがあったりとかということで今いろんなことを教えていただいたんですけれども、このco-jinのことも一つかかわってくるかもしれませんけれども、これから先、そういうネットワーク化とか、組織化であるとか、ここに制度としてするとまたややこしいことがいろいろとこの世界の中にはあるのかもしれません。でも現状としてこういうのがある中で、こういう人たちの力をあらゆる面でより発揮していくことが、これからの日本にとっても得策といいますか、いいものになっていくんじゃないかというふうに、ちょっと表現は十分ではありませんが、そのように考えるんですけれども、こういったネットワークとかつながっていくことの重要性について私は大きいんじゃないかと思いますが、松尾参考人はいかがでしょうか。 52: ◯松尾参考人  ネットワークというか、日本語で言うと共同と言ったほうがいいかもしれませんね。今、本当に感じていますのは、この人と仕事をやったら実現するというリアリティー探しみたいなことはすごく大事で、これはいろんな立場から言えることだと思います。芸術というもの自体が、先ほどから申しています社会の中での送り手になり得ると思うんです。いろいろな方法論とか、それから想像力、これは社会に生かしていただける大きな大きな塊だと思っています。例えば、大学生がこのごろ京都に残留しなくなりましたでしょう。やはり不景気で親元に帰ってこいと。なので、京都には京都の芸術系大学を出た人がたくさん蓄積、残留していっていることで一つの層をつくっていたんですけれども、これが今、解体されつつあります。でも逆に言うと、それはみんな地方のおうちへ帰っていっているので、そこにその人をキーにしていくというやり方があるんじゃないかなと思います。恐らく知的障害の方々のアート、芸術に関しても、地方へ行けば行くほど、多分ネットワークなり社会的認知度も低いし、大変なことだと思いますので、京都にいる間に芸術系大学の学生が実習を通じて、具体的な世の中で働いておられる例えば施設の方、それから施設に通われている方との体験を積んで、そして生かしていくような感じ、仕組みでしょうかね。それを教育レベルで、カリキュラムの中に持っていくべきではないかと思っています、個人的には。ただ、大学生も大変忙しくて、先ほど3,000人の卒業生に職がないと言いましたけれども、これは少しオーバーな言い方でして、芸術家としての職がないんです。皆さん何かしらの就職をしないと奨学金を返せないという状況ですので、ここの問題は大きいなと思っています。ですので、芸術家として生きていく以外に、送り手として生きていく、いわゆるマネジメントとアドミニストレーションというのをカリキュラムの中にもっと入れてもらって、これを健常者の芸術、いわゆる美術館芸術をアドミニストレーションしていくだけではなくて、社会活動としてアドミニストレーションやマネジメントをやっていくというカリキュラムを実習込みでやっていってはどうかなと思っています。 53: ◯北岡委員  ありがとうございます。もっともっと今のお話を聞きたくて、具体的にどういうようなことがあるかというのをまた引き続き御指導いただきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。  それから、寺本参考人におかれましては、本当に、これこそがあるべき姿という思いで聞かせていただきました。支援方針の「利用者の発達の可能性を信じる」ということで、お一人お一人の可能性を見出し、それについて支援をしていくということになりますと、お一人お一人を見るということは、もちろん職員の皆様方の大変な努力と質の高さというのがあると思うんですけれども、先ほども、これだけをされるのには大変。思いだけではできませんので、資金面のこともあると思うんですけれども、職員さんがお一人お一人に寄り添ってとなりますと、それだけの職員さんの配置であったりとか、そしていろんな研修ということが、これまでも十分されてきたからこそできたんでしょうけれども、今なかなか大変なんですよということをさっきちらっとおっしゃいましたので、そういうことなのかなと思うんですけれども、こういうことについて、あるべき姿ということについては、ぜひ支援をしていくべきだと思っておりますが、その辺のところについてお話をいただける範囲内で、先ほどおっしゃったので気になりまして、教えていただくことができたら、理事者の皆さんもよくお聞きだと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。 54: ◯寺本参考人  そのことを言い出したらまた底がつきないので、全てをというわけにもいかないのも存じ上げておりますが、職員は非常に苦労した中で、ただ、ほかに比べて非常に優秀であるとかそういうことではなく、どこの施設も皆同じように取り組んでいて、また同じように課題を抱えているのかなと思っています。  ただ、京都府さんにとかということを先ほど若干言いましたけれども、それ以前に、利用者が主人公になるということのために、たまたまアートという形で進んだのが結構私の想定以上に、時代も相まって話題に上っていくといいますか、すごくありがたいんです。しかし、やっぱり違う面での、描いた絵で、絵画として皆さんが喜ばれるものだったり、そうではないものもあるけれども、それをどうにかして、みんなが描いたものが人の手に行く商品とかいう考えでやっていたところが、それ以上になっていきますと知的財産権であるとか著作権という問題が非常に大きくて、普通でしたらそういうところで動くんですけれども、うちのところは全員が、すごく仕事を頑張る人も、一生懸命頑張ってもそこまでできない人も、あくまでも平等の工賃をお支払いをしている中で、突出して画材とか、送り手の活動をふやせばふやすほど目に見えない、利用者の方には全然関係ない部分での人手であったり費用というのがやっぱり要りますので、今度、絵に価値があって、もし販売をした場合に、先ほどの7割であったり、3割であったりというところを一般の常識的な範疇で捉えると、もう続けられなくなるなと。というのは、画材代であったり活動費の経費に充てる費用以上に、今、先に工賃をお支払いしていますので、ずっと赤字なわけです。なので、例えばそういう形でレンタル料とかが入った場合も画材の赤字の補填をしていきたいところですけれども、今後については著作権であったり知的財産権の関係で、それがどこまで許されるのかであったり。あるところでいうと、著作権放棄という手続等々をされているところもありますが、そういう大きいことになってきますと、やっぱりさまざまな御家族さんの意向もあられる中で、非常に考えなければならないことが大きい。ただ純粋にやってきたことで、すごくよかったと思っている部分から、利用者を見ていたんですが、絵がひとり歩きした価値になっていく中で、どの関係性でどう皆さんに、さっきも言ったウィン・ウィンに、本人も家族も、もちろん施設もウインでないと続けられませんので。というところが今一番悩んでいまして、そこを京都府さん何とかしてくださいと言うことでもないとは思っているんですけれども、先ほどの保管するスペースがなくなっていくとかそういうことは現実的に。では、スペースがないから絵を売ったらいいやんと言うのは簡単ですけれども、その絵を売るときの取り扱い方というところが、今ずっと2年ほど悩んで、何とか今の時点で納得していただける形にしないといけないところを悩んでいるんです。そういうところも先ほどのco-jinさんであったりとかに、一定仕組みとかルール的なものをつくっていただく中で委ねられると、その部分というのは、私たちが支援を思う思いとはまた違う部分の運営なんですね、一種。ですので、専門外の私がそういうことをしていくということになるとやっぱり難しい。もちろん私だから難しいのかもしれませんが、そういうふうには思っています。 55: ◯北岡委員  ありがとうございました。先ほどからもお話にあるように、やはり送り手・受け手の専門家を周囲に配置とここに松尾参考人の資料にも書いていただいていますし、専門家の配置が重要ということで具体的なことも書いていただいております。一挙に難しい部分はあるかと思いますが、これからco-jinは、まずここから始まっていくということで、進化をしていくということを私たちもよく勉強しながら、知恵と工夫、提案をしていきたいと思っておりますし、どうぞよろしくお願いします。  ありがとうございました。以上です。 56: ◯岡本委員長  御発言も尽きたようでありますので、これをもって所管事項の調査を終了いたします。  松尾様、寺本様におきましては、大変お忙しい中、参考人として、本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  皆様方からいただきました貴重な御意見につきましては、今後の委員会活動の参考にさせていただきたいと存じます。  また、理事者各位におかれましては、本日各委員から出された御意見・御見解等について、今後の府政の推進に当たり、十分御留意いただき、府民のため、なお一層の創意工夫をされるようお願いいたします。 57: 3 その他   発言なし 58: 4 閉 会   岡本委員長から閉会宣告が行われた。                                    -以 上- 発言が指定されていません。 ↑ ページの先頭へ...